フォイヤーシュタインとホープセンター  


フオイアーシュタイン博士について初めて知ったのは雑誌リーダーズダイジェスト2001年11月号の記事でした。これを最初に読んだ家内から薦められ、11月末、英国に赴任する飛行機の中で目を通したことを鮮明に記憶しています。その後半年、このことは新任地での多忙の中でそのままになってしまいました。家内と次男が日本からロンドンに来てようやく落ち着いたのは翌年の春でした。その後インターネットでフォイヤーシュタイン博士について調べてみたところ、ロンドンにホープセンターがある事がわかりました。2002年の冬から数ヶ月に渡って、家内がそこのセミナーを受講する事になったことは予期せぬ展開でした。
 
まず最初に、きっかけとなった雑誌の内容を紹介しましょう。

 
『フォイヤーシュタイン博士がルーマニアのブカレストで心理学の勉強を始めたのは第二次世界大戦が勃発した頃、19歳の時でした。博士はユダヤ人の地下運動に参加、ナチスの強制収容所に連行された人々の子供をパレスチナに逃亡させました。終戦の1944年自らもテルアヴィヴに来て、ホロコーストを生き延び心理的に深い傷を負った若い生存者を助けました。肺結核を煩い1948年までスイスのサナトリウムで療養生活を送り、その後発達心理学の父と呼ばれるジャン・ピアジェのもとで勉強しました。イスラエルに戻った彼は知的発達に遅れを示す子供たちの教育法を開発しました。これは全部で14課程から成っており、若い人の学習能力と知性を向上させる手法です。多くの教育者は、知的障害児には簡単な手作業しか教育できないと考えています。しかしフォイヤーシュタイン博士はこれとは反対に、複合的知的課題を与えるという挑戦的な手法を打ち立てました。
 
沢山の点が書かれた紙を前に、11歳のニューヨークから来たダニエルは考え込んでいます。彼は知能指数が低く、集中力に欠けていました。この沢山の点の中から4つを選んで正方形を作るのです。更に3つの点から正三角形を作ります。この課題はフォアーシュタイン法の最初のもので、現実を僅かしか認識できない子供に、頭の中で混沌状態を整理させようというのです。作業は徐々に難しくなり、中程度の課題では普通の大人でも正解を出すまでに10分はかかります。
 
英国人のアレックスは脳手術で半分の脳を摘出しました。16歳の時、自分で食事をすることもままになりませんでした。英国の医師はこの子は書く事も読む事もできないだろうと診断しました。彼はイスラエルに来てフォイヤーシュタイン博士のもとで訓練を受け、19歳の今では新聞を読む事も出来ます。エルサレム市内の教室では「空間の位置関係」といわれる脳の訓練が行われていました。机の上に一枚の絵があります。人が立っていて前に家があり、右手に木、その前に花壇、左手にベンチが描かれています。アレックスに質問が出ます。「人が右を向くと前にあるのは何?」「木」と、すぐに正解。問題は徐々に難しくなります。この訓練は子供の基本的思考能力を高めるものです。  
フォイヤーシュタイン法によるダウン症の子供への効果は驚異的です。博士のかつてのイスラエルの生徒は二人ともにダウン症です。今では二人は結婚して花婿は農業に従事、花嫁は幼稚園の先生になっています。23歳のダウン症のオランダ人の女性は9年間の訓練を経て今では幼稚園の助手として自立しています。

1988年12月のある朝、博士はエルサレムのバール・イラン大学の教壇から学生に話し掛けていました。「諸君、お祝いを言ってくれたまえ。今日私はお爺さんになった。孫はダウン症だ。」

博士は沢山の親に、ダウン症の子供が生まれる事は悲しい事ではない、と言い続けています。「孫は今では喜びの源だ。」博士の孫は12歳になっています。今では普通校に通い、大きくなったら結婚して職業にもつくさ。職業 多分、教師にね。」  フォイヤーシュタイン法は今日では知的障害児の訓練から発展して、他分野でも用いられています。あるイスラエルの兵士は頭部に銃弾を受け脳を損傷しました。彼は言葉を失いましたが、博士の手法による訓練を受け回復しています。イスラエル政府はこの成果を重視、同様な脳損傷兵士治療のリハビリ契約を結びました。博士の手法を取りいれた学校もあり、更に企業教育として採用したところもあります。』

 
以上が雑誌に紹介された内容でした。
 
更に調べてみると日本でもフォイアーシュタイン博士の著書が既に出版されている事が分かりました。「このままでいいなんて書わないで」がそれで関西学院大学出版会から刊行されています。これには博士の理論の説明と治療を受けた子供達の成功の実話が数多く紹介されています。
 
更に冒頭にふれた「ホ一プセンター」がロンドンにありました。(228 Walms Lane,London NW2 BS,tel:020・8450・1121)ここでは博士の理論に基づく実践的な活動が行われています。昨年の10月から今年の2月にかけて10回に渡るトレーニングコースがここで開かれ、家内が参加しました。内容は博士の理論をどう実践に展開して行くか、実際に教育や治療に当たる人々を対象にしたセミナーでした。素人の家内には難しかったと思いますが、新たな認識を得る事ができました。私も家内の説明を聞いてすぐに理解できたわけではないのですが、その内容を簡単に述へれば次のようになるかと思います。『人間の知性は生まれた時に定まったものではなく、後から発展させることのできる動的な構造になっている。Mediated learning Experience(媒介的学習体験と訳すのでしょうか)により知性を、認知的に成長させることができる。認知的成長は神経生理学的なものでもなく、単に刺激を与えることによって可能なわけでもない。さらに情報の流れを媒介することによって、より高い心的機能に発展させる事が出来る。
 
なかなか難解な説明です。もう少し説明を加えれば、

『学ぶ事の出来ない子供はしばしば見聞きすることを秩序だてて認識する事が出来ない。媒介的学習体験によりそれが可能となる。両親や教師は物を認識させたり物の名前を教えたりするだけでなく、それらを比較、秩序だて、関係付けることが大切である。博士の開発したInstrumental Enhchment:IE(豊かにさせるための手法、とでも訳すのでしょうか)の目的は独立して思考ができるように個人の認知構造を変容させるものである。この手法は全部で14課程から成っている。もちろん博士の理論に懐疑的な専門家もいることも事実である。』
 
なかなか興味深い話しで奥は深そうだなあ、という感じがします。ロンドンのホープセンターでは博士の理論に基づいた実践的な活動が行われています。しかし、当然ながら英語で行なわれるため日本人には言葉の上での制約はあります。日本でも既に紹介しました「このままでいいなんて言わないで」という書籍が出版されておりますので、情報は入手できると思います。この本の翻訳者の生徒の1人だったという芦塚先生が関連のワークショップに参加するため7月末ロンドンに来られました。前述のホープセンターのセミナーに参加されされた松蔭女子大学の藤本先生共々、忙しい日程の中でお越し頂き、直接フォイヤーシュタイン理論と実際の活動についてお話頂けた事は望外の幸運でした。(完)


2003年8月(ロンドンにて)

柄戸正
 
柄戸スザンネ